2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧

旅の宿

「善光寺信仰のなぞ」は「あれこれ南宜堂」http://sinsyuugositee.naganoblog.jp/に移転しました。続きはそちらをごらんください。 目崎徳衛「漂泊」という昭和50年に刊行された本を読んでいる。この本を読みながら思ったのは実に下世話な話「この人たちはど…

32 江戸時代の善光寺詣りはどんなだったのか

新しい本堂がつくられ、山門や仁王門ができ、大門町から山門までは仲見世が並ぶという、現在に近い善光寺かいわいが形作られたのは江戸時代のことですが、この時代の善光寺詣りとはどんなものであったのでしょうか。 江戸時代の末期、善光寺には年間二〇万人…

31 本堂を再建した慶雲とはどんな僧か

焼けた善光寺再建のための動きは元禄一三年の暮れから本格化しました。もともと再建予定で用材を集めていたのですが、それがすべて灰燼に帰してしまったわけですから、また一から出直しということになりました。 まず、善光寺大勧進の住職に柳沢吉保の甥の慶…

30 芭蕉「更科紀行」の旅

松尾芭蕉は、貞享五年(一六八八)姨捨山の月を見るために信濃路の旅に出ました。そのことは「更科紀行」という短い紀行文にまとめられています。 芭蕉が「更科紀行」の旅で歩いた道のりを見ますと、岐阜(加納)を出発して木曽路を通り、洗馬から善光寺街道に入…

29 寛文如来堂

慶長三年八月一七日、善光寺如来は京都を出発し信濃の国に向かいました。如来を安置する如来堂は、慶長五年豊臣秀頼が寄進して建立されました。実に四五年ぶりに御本尊が善光寺に帰ってきたのです。 しかし、この如来堂は元和元年三月、雷による火災で焼失し…

28 善光寺信仰の大衆化

落語「お血脈」 おけちみゃくと読みます。善光寺の出開帳が盛んに行われるようになる、江戸時代中期以降に成立した話ではないかと思われます。そのあらすじは次のようです。 地獄を取り仕切っているのはご存じ閻魔大王ですが、近頃地獄に堕ちる亡者どもがめ…