2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

天田愚庵、ニコライの神学校に入る。

この時から久五郎の両親を求めての彷徨がはじまるのである。平藩は二万石減封ながらも存続は許された。藩士たちは生活の再建に向けて活動をはじめるが、灰燼と化した城下での暮らしは厳しかった。 愚庵は上京する。何かあてがあったわけではない。一日玄米三…

天田愚庵、戊辰戦争に参戦する。

天田愚庵はもとの名を甘田久五郎といった。磐城平藩士甘田平太夫の五男として安政元年に生まれている。 明治元年、戊辰戦争が勃発するや、平藩は奥羽越列藩同盟の一員として、いわゆる新政府軍に敵対することとなった。 六月十六日、薩摩を主力とする新政府…

天田愚庵、清水次郎長の食客となる。

天田五郎(後の愚庵)が清水次郎長の食客となったのは、山岡鉄舟の紹介によるものであった。年譜(「愚庵全集」所載)によると、明治十一年のことであった。る。五郎はこのとき数え二十五歳、ちなみに次郎長は五十九歳、鉄舟は五十三歳であった。 「東海道を経て…