2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

愚庵と落合直亮

愚庵がニコライの神学校を出て、小池詳敬のもとに養われるようになったのは、明治5年のことである。ここで、愚庵のその後の人生に大きな影響を与えることになる山岡鉄舟と出会うのである。 「愚庵和尚年譜」によれば、「落合直亮に国学を学び、山岡鉄舟に禅…

愚庵、ニコライの神学校を離れる

ニコライの神学校を離れた天田愚庵は、「仙台の関係者の紹介か、石丸八郎に寄寓、その後、明治新政府正院大書記の職にあった小池詳敬に養われることになった。」(高橋敏「清水次郎長と幕末維新」) 高橋氏はいとも簡単に書くが、この二人の人物の登場は唐突で…

愚庵と千葉卓三郎

愚庵にとってこのニコライ神父の神学校は安住の場所ではなかった。というのも、愚庵はギリシャ正教に帰依して神学校に入ったのではなかったからだ。 「されど儒教主義の耳もてこの教派の説を聞くことなれば一つも承服するあたはず。重立たる人々に夜ごと呼び…