2011-01-01から1年間の記事一覧

烏の森風雲録 10

十 このお話は同時進行ではありませんのでまだバードサミットは開かれていないことになっていますが、ご存知のようにサミットはすでに終了しています。 総裁カラスはその成果を自分の手柄としてあちらこちらで話しているようです。総裁の演説に感動して、烏…

烏の森風雲録 9

九 山鳩上人と別れたカンタローは、寺の裏手の放生池までやってきました。一人になって考えてみたかったのです。ところがそこには先客がいました。赤色カラスが一心に羽を繕っていたのです。 「いやあ、気持ちいいよ。いっしょにどうだい」 赤色カラスから話…

烏の森風雲録 8

八「どうかしたのかカンタロー、情けない顔をして、豆鉄砲でも食らったようじゃないか」 通りかかったのは善草寺の最長老山鳩上人です。 「おお、これはお上人さま、おはようございます」 カンタローカラスはかしこまりました。山鳩上人は、鳥の国では一、二…

烏の森風雲録 7

七 サミットも近づいたある日、カンタローカラスは何気なく「バードタイムス」を見てびっくりしました。そこには烏の森特派員発としてこんな記事が掲載されていたのです。■黒いハト、何処をどうとんでいるのでしょうか。 これはハト共和国のはなしです。 こ…

烏の森風雲録 6

六 カンタローカラスはよくわからなくなりました。 「でも、こんなことが許されていいのだろうか」 結果的には、灰色カラスは自分の思いを遂げるために何十羽もの烏の森のカラスたちの生活を奪ってしまったのです。総裁カラスも自分の保身のために灰色カラス…

烏の森風雲録 5

五「それはちょっとちがうんじゃないかしら」 「烏の森風雲録」を読んだというミルカラスが電話をくれました。ミルカラスは組長カラスの一羽で、総裁のやり方にがまんができず烏の森を飛び出したインテリカラスです。医者だったので、その技術を生かして何と…

烏の森風雲録 4

四 赤色カラスが言うには、最初から灰色カラスは烏の森を乗っ取るつもりでやってきたというのです。烏山を追い出された後、灰色カラスはなぜ正しいことを主張した自分が追い出されるはめになったんだろうかと、一生懸命に考えたのでしょう。その結論が権力に…

烏の森風雲録 3

三 カンタローカラスも烏の森を追われた一羽でした。カンタローは羽が黒いカラスだったのですが、総裁たちを強く批判したため、灰色カラスから「残ることを希望しているようですが、あなたには出て行っていただきます」と言われて追い出されてしまったのです…

烏の森風雲録 2

二 はじめのうちは長老と一般カラスの間にたってなんとかなだめてきた組長カラスたちでしたが、そのうちに我慢ができなくなったのか、組長をやめるといいだしたのです。 一般カラスたちはどうかやめないでくれと嘆願書をつくって総裁や組長カラスに訴えまし…

烏の森風雲録

一 そのむかしカラスはみな黒かったわけではありません。もちろん黒いカラスもおりましたが、青いカラスや赤いカラスや黄色いカラスや、白いカラスだっていたのです。 そんな何十羽ものカラスが共同生活を送っている森がありました。烏の森というところです…

愚庵、小池詳敬に従い西国へ。

明治6年の冬、仙台にいる愚庵のもとに小池詳敬から書状が届いた。何事かと開いてみればそこには小池が官を辞して石油会社に協力することになった旨が書かれていた。すなわち「迂拙事聊か存ずる旨あり、近日官を辞し、一身を彼の石油会社に投じ、東海山陽より…

愚庵と落合直亮

愚庵がニコライの神学校を出て、小池詳敬のもとに養われるようになったのは、明治5年のことである。ここで、愚庵のその後の人生に大きな影響を与えることになる山岡鉄舟と出会うのである。 「愚庵和尚年譜」によれば、「落合直亮に国学を学び、山岡鉄舟に禅…

愚庵、ニコライの神学校を離れる

ニコライの神学校を離れた天田愚庵は、「仙台の関係者の紹介か、石丸八郎に寄寓、その後、明治新政府正院大書記の職にあった小池詳敬に養われることになった。」(高橋敏「清水次郎長と幕末維新」) 高橋氏はいとも簡単に書くが、この二人の人物の登場は唐突で…

愚庵と千葉卓三郎

愚庵にとってこのニコライ神父の神学校は安住の場所ではなかった。というのも、愚庵はギリシャ正教に帰依して神学校に入ったのではなかったからだ。 「されど儒教主義の耳もてこの教派の説を聞くことなれば一つも承服するあたはず。重立たる人々に夜ごと呼び…