2012-01-01から1年間の記事一覧

川中島の戦い

第四回目の戦い 永禄四年 永禄四年八月、春日山を出発した上杉軍は十四日に海津城西南にある妻女山に陣を取った。山上からは海津城を望むことができる。 この知らせは十六日には甲府の信玄のもとに届いた。信玄は急ぎ出陣の支度をさせ、 十八日大軍を率いて…

海津城と山本勘介

「甲陽軍艦」では、天文二十二年の築城とされる海津城であるが、第四次の川中島の戦いを前につくられたとするのが妥当であろう。この頃になってようやく川中島平の多くが武田信玄の支配下になっているからだ。 城地はもともとが地元の豪族清野氏の屋敷であっ…

村上義清、上杉謙信に助けを求める

この戸石城の攻略を境に武田と村上の勢いは逆転した。天文二十二年四月六日、武田軍は村上義清の本拠である葛尾城(埴科郡坂城町)を攻めたが、義清は戦うことなく越後の上杉謙信を頼って落ち延びていった。 村上義清は、北信濃の豪族井上・須田・島津・栗田と…

信玄、上田原で敗れる

甲斐の武田信玄が信濃の南半分をほぼ制圧し、北信濃への侵攻をはじめたのは天文十七年(一五四八)のことであった。二月、信玄は上田原(上田市)に陣し、北信濃最強の武将村上義清に対した。 村上氏は、清和源氏の流れをくむ豪族で、千曲川左岸の村上郷(埴科郡…

海津城の築城

甲斐、武蔵、信濃の三国にまたがる甲武信ヶ岳に源を発する千曲川は、佐久、上田の平を流れて川中島平に入る。ここで北アルプスから流れてきた犀川と合流するのだが、その合流点の近く、千曲川の畔に松代の里はある。 戦国の武将武田信玄は、この三方を険しい…